AIのことを語りたい。

言語生成AIと人の共生は、言語生成AIと共に学ぶこと。言語生成AIの主に人文系の学習用途を模索するblogです。

2023/4/25 16:59 新しい快適さのために、どこまで新しい不便さを受け入れますか

この文章は、私自身がChatGPT・AI・技術・サービスを、どのように受け入れているかを述べたものです。

例えばGoogle Workspaceのメールや文章を分析されるのは嫌だし、情報流出も困ります。Amazonは20年以上使っているから、注文履歴は私の情報だけでなく、ギフトの送り先も記録されています。これも、例えば購入した書籍から私の関心領域を分析するとか、私向けの広告を決めるデータにするとか、「注文履歴」以外の役割で利用されるのは嫌です。嫌だけど、そのようなことは無いと判断して、利用しています。

対して、使わないという選択肢もあります。「退会しても復帰した時のためにデータは保存する」というFacebookの方針が肌に合わないので、Facebookは利用しないことにしました。
P2Pやオニオンルーターなどは、そもそも触らないようにしています。シンプルに、私には適切な利用が難しそうなのと、無くても不便ではないから。


ChatGPTを触って試行錯誤すると、使わない選択肢より、いかに共生するかを考えた方がいいと思えるのです。何に対して使わない、何を任せると得意で、何は人が行うのが望ましいのか、そうした適切な使い方を理解しようと試みています。当然、メリットも大きいですけど、デメリットだって有ります。

ChatGPTをOpenAIが無料で公開しているのは、「AIの進歩のため・言語生成系AIのシェアを取るため・機械学習だけでは学習できない、人間とのチャットで学習させるため・無料のテスター」の4つの動機があるかなと、私は推測しています。無料版でこの性能の高さ、それにサーバー代など経費が生じるので、何らかの戦略はあるでしょう。
だから、ChatGPTを利用するのに、入力欄にクレジットカード番号や携帯番号などは入れないことにしています。だって、そもそも入力する必要が無いから。氏名なども入れていません。ちなみに、AIの学習相手と無料のテスターは、そう利用してくれて構いません。AIに進歩して欲しいので。

人である私は何が得意で、AIは何が得意で、どう補い合うのが望ましいのか? 例えば、私が作業し、AIが決め(選択や判断をして)、私が責任を取る関わりだと、ナンセンスですよね。そうしたことを見極めるのに、ChatGPTを使う不便さも受け入れます。具体的には、そあだなぁ、私が横着して、Googleでソース・出典にあたらず、ChatGPTに質問して終わりにする誘惑に、負けないようにすることなど。

オーガニックで自給自足で晴耕雨読の暮らしも選択肢は存在するけど、添加物や化学物質のリスクを理解した上で、スーパーも外食も利用しています。何を受け入れて、何は受け入れられないかは人それぞれ。私は新しい技術・サービス・選択肢を受け入れるか決める際は、その利便性や新しい価値や豊かさにより、もたらされる新たな不便さとどう折り合いをつけられるかで、決めているようです。

どんな目安で、お決めになっていますか?