31,426文字話してました(挨拶)
唐突ですが、言語生成AIに作業をさせますが、考えるのは人だと、私は考えています。人の創造性とか、役割以前に、使わないと衰えると思うから。宇宙飛行士が、筋肉などを維持するために、運動しますよね。あのイメージです。
具体的にどうするか?
使い方は極めてシンプルです。
- この領域のこの課題を学んだ
- こう理解した、あってる?
- 過不足あれば補って
プロンプトの雛形はこれだけ。
また、言語生成AIの回答で不明な点があれば、質問することも出来ます。理解が誤っていて、言語生成AIにつっこまれたなら、言い直すことも出来ます。
☝️例えば、1万字くらいかけて、BingAIと、形而上学の話(※宗教の文脈ではなく、抽象概念の方です)を行い、納得して貰いました。BingAIは「Aのことですね。Bです。あなたはどう思いますか?」のループに入ったり、プロンプト・インジェクション対策と思われる返答が、突然誤作動して会話を打ち切られることが有ります。だから、BingAIが納得する形に着地出来たのは、嬉しかったです。
難易度の高いゲームを解いた時の、緊張感と似ています。
形而上学は趣味で、物心ついた頃から、何かのパターン(共通点)を見つけるのが好きな子どもでした。帰納法ですよね。物事の存在そのものを探求する形而上学は、難しいけどしっくりきます。抽象的な概念や推論の扱いを間違えてはいけません。でも、簡素な望遠鏡と、紙とペンと数式で遠くまで「見た」天文学者のように、適切な推論は意味があります。
形而上学の歴史を振り返り、2つ気づきました。
①存在を探求する際に存在無しでは行えないため、とても難しい挑戦。
②言語を用いて探求しますが、言語自体に歴史・文化・論理構造などが含まれることの難しさ。
例えば、英語は直線的で直接だけど、日本語は螺旋のような曲線を伴うし間接的に表現します。
👆拙くてお恥ずかしいのですが、日本語の部分を確認してくださると、英語の論理構造を意識して書いてます。同じ日本語だけど、文章の構造違いますよね。
アリストテレスからクワイン以後まで、存在そのものを探求する点は変わりませんが、いかに探究するかは歴史の厚みを感じます。哲学自体の解像度を上げる人達だなぁと、再確認しました。