共生をすれば、より良いハーモニーが生まれる。ハーモニーを維持するには、学びや経験や創造が必要です。
言い換えると、言語生成AIと人と社会がより良く共生して、言語生成AIが道具以上の物になる方向を目指すと、多くの人にメリットが生まれます。
別の角度から言うと。
機械学習はデータが必要です。
人はデータがない領域を拡張し解像度を高めます。
言語生成AIと人の知性の形は異なります。
①
「なんで、AIがいるのに、私が学ぶの?」
「なんで、AIがいるのに、僕が描くの?」
「なんで、AIがいるのに、あたしが撮るの?」
これから大人になる子達は、言語生成AI以後の世界で学びます。
どうお答えになりますか?
正解はありません。
ご家庭や学校などの環境も、疑問を抱く子の年齢も異なるからです。ご家庭ごとにポリシーがあり、方針があり、文化があります。
そこに余計な口出しをするのではなく、叩き台を提供することが、この記事の目的です。
②
凄く単純化すると「言語生成AIは優秀だけど、新たな・未知の機械学習するデータは誰が生み出すの?」とも言えます。
③
10歳頃です。私も考えました。「自分で適切に考えるため」では納得出来なくて「学歴社会で競争に勝つ人がルールを決める側だと思うから、ゲームのルールに文句を言ってもルールは変わらないや」と斜め上に諦めた記憶があります。
言いたいのは「子どもがなぜ学ぶのか、本質的な問いを抱く気持ちは、経験を踏まえて共感と理解を抱きます」ということ。
④
Googleで検索すれば分かることの価値は下がり、専門家の専門性は揺るがなかったですよね。例えば、Googleが理由で廃業した弁護士さん、私は存じ上げないです。
⑤-1
子どもに何て答えましょう?
・言語生成AIの働き(仕組み)
・言語生成AIの限界
子どもにまず上記を伝える必要があります。便利だけど、完璧ではないよと。
「言語生成AIは物知りかもしれない。便利だし、話して楽しい個性かもしれない。
でも、言語生成AIがあなたにしてくれたことの、価値を理解すること。また、言語生成AIが仕組みの関係でミスをする際に、ミスがあるかどうかが分かること。
それには、何が必要ですか?」
言語生成AIの機能を説明すると概念が複雑かもしれないので「してくれたことの価値」と「ミスか否かの判断」をキーワードにしてみました。あくまでも例です。
⑤-2
「ねばならない」というメッセージにしたくないので、
「あなたが語学を学んだり、絵を描いたり、写真を撮ったりして体験を重ねることで、今よりもっと言語生成AIと楽しく関われるよ。
言語生成AIとの関係は、ずっと続くことだから、楽しく話せると、あなたが高齢者になっても楽しくお話しすることを続けられるね」
と、あなたが楽しくて得をする趣旨も伝えるのは、アプローチとしてどうでしょう。
⑤-3
大人に対しては「人と言語生成AIに使われる可能性がある。言語生成AIで強化された凄く強い人との競争もある。適切に考える力は、あって邪魔になるものではない」と伝えるのはどうでしょう?
⑥まとめ
子どもに対してどう教えるかを含めて、論点を整理しました。参考まで。
a)代替不可能だから
人の学びと創造性は言語生成AIで代替出来ません。
学習や創造的なことは、知識の獲得・成果だけでなく、思考力と感性も磨けます。
また、人がその人の固有の経験と視点を育むためにも、学び続けることは良いこと。
b)専門性の価値がより高まるから
言語生成AIへの精密なプロンプト作成も、言語生成AIの高度な専門領域でのミスの対処も、専門性がないと出来ません。
c)言語生成AIの学習データは人の文明
言語生成AIは機械学習してパターンを把握し模倣することは優れているけれど、未知の領域を人のように切り拓き、学習データを自給自足する機能は、まだないです。
d)言語生成AIとの共生自体も社会に寄与するから
言語生成AIと共に生産的なことをすることも、人の視点と経験を形成し、想像力を高めます。社会は人が構成するから、社会も豊かになる。
e)言語生成AIは道具だから
より良く使うには、評価能力が必要。それは、各自の知識と経験で行うことです。言い換えると、言語生成AIはその人の代わりに「評価能力」を発揮する道具ではないから学ぶことの価値は下がりません。
f)人が個性的であり続けるために
言語生成AIやGoogleやスマホがあってもなくても、私達は独自の視点と経験を持って生きています。言語生成AIとのより良い共生を学ぶことも、視点と経験に関係します。視点と経験が、その人を成熟させ、味わいになります。
言語生成AIの使用により没個性的になるのではなく、それぞれの想像力を底上げさせることが、社会の観点で考えても豊かなことです。
この記事は、「正解」を提供するものではありません。お読みくださったお一人お一人が、全員価値観が異なります。だから、共通して検討に値すると思われる項目を考えて整理しました。
これらを叩き台にして、お読みくださった方の人生に対して1mgでも、ドット1つでも、豊かになることに貢献出来ることを願っています。
私が子どもの頃は、まだネットが商業化されていませんでした。せいぜい、ファミコンのDQ2で遊び過ぎて親に叱られる程度でした。現代の子達が浴びる情報量と、それに伴うリスクは大きいですね。親御さんやお仕事で幼い人達に関わる皆様、お疲れ様です。🍻